2015.09.20 Sunday
精霊
呪言を操る彼女の一族は、絶えず迫害を受けながら生きていかねばならなかった。まだ少女と言える程に幼い彼女であっても同様で、血が途絶えない様にと一族散り散りになって暮らしており、両親は森に隠れ住んでいたところを心ない街の人間により殺されてしまった。家畜が死ぬ、長雨が降る、日照りが続く、不作になる……それら全ては大自然が引き起こす事であるというのに、彼女達が操る呪術によって引き起こされたと考える人間は多く、彼女の両親はそういう人間の手にかかって死んだ。直前に危険を察知した両親に逃がして貰えた彼女は何とか最悪の事態を免れる事が出来たが、子供一人で逃げ果せるほど世界は優しくなかった。
森の中を逃げて、逃げて、ひたすら逃げた彼女の身体や心はぼろぼろになっており、彼女は大樹の根本に出来た洞に入って小さく縮こまって静かに最期の時を待った。今朝方まで彼女を苦しめた雷雨はすっかり上がり、緑の隙間を縫って降り注ぐ陽光は柔らかい。だが、彼女の冷えた体を温めるまでには足らなかった。彼女は、両親が最後に持たせてくれた鈴を手に握り締め、木々の間をさらさらと流れる風の音を聞きながら、迫り来る自分を追ってきたのだろう人間の足音を、ただ静かに待っていた。
「――無事か? 生きているか?」
だが、洞のすぐ側で止まり、そっと掛けられた声は、彼女が聞いてきたものより、また想像していたものより遥かに優しく温かみがあった。それに驚いた彼女が膝に埋めていた泥に汚れた顔を上げると、洞の中をしゃがみこんで覗く、成人しているとは言い難い髪の長い女性がそこに居た。
女性は、彼女にレンと名乗った。衰弱していた彼女に白湯を飲ませ、また薄い塩味のパン粥をその場で作って食べさせてくれた。胃がびっくりするだろうから無理に食べなくても良いと言われた彼女は、言葉に従って半分残した。残した粥は、レンが全部食べてくれた。
「あなた、私が怖くないの?」
体力も回復していないから今日はここで寝た方が良いと言ったレンは、洞の中に自分も入って彼女を後ろから抱き、冷えきっていた彼女の体を温めてくれた。どういう経緯で自分を見付けてくれたのかは分からないが、どう見ても尋常ではない出で立ちであるのに、ここまで優しくされる理由が分からない。迫害されながら生きてきた彼女には何か裏があるのではないかとしか思えず、しかし逃げる事も抵抗する事も出来なかった。体力が無かったというのもあるし、偽りであったとしてもその温もりが恋しかったからだ。
「私の故郷には、子供の精霊が居てね」
「……?」
「座敷わらしと言うんだ。座敷わらしが居る家は繁栄するし、去ると没落すると言われている。
君は、私が昔見た座敷わらしに似ている。だから怖くない」
それで怖くないと言われても微妙な顔をするしか出来ない彼女は、自分の体を抱いてくれているレンの手に視線を落とす。指先は荒れ、所々に傷が見え、傍らに置いた武器は紛れも無くレンが扱っているのだという事を彼女に教えてくれていた。
「君は、森の向こうにある村がどうなったか知っているか?」
「……知らない」
「ほぼ壊滅状態になったよ。昨日の雷雨で」
「?!」
彼女の住まいの付近にあった村は、小さなものではなかった。それなりに大きな家も建ち並んでいた。それなのに、たった一夜の雷雨で壊滅したのだとレンは言った。にわかには信じられなかったが、今の彼女には信じられるものはレンの体温くらいしか無い。嘘を吐く時の様な緊張の冷たさは、レンの指からは感じられなかった。
「富をもたらす精霊を追い遣った罰さ。もうあの場所に人は住めない」
「………」
「君は、これからどうする?」
「……分からない……父さんも母さんも居ないから」
「そう。私と来る?」
「……うん」
突然家族を奪われ、住み処を奪われ、身一つとなってしまった彼女に選択肢は無い。このままのたれ死ぬか、森の中で他の人間の陰に怯えながら生きるか、レンの庇護の元に生きるか。まだ幼い彼女には、一人の恐怖に耐え得る程の勇気は無かった。だから、彼女は数秒の沈黙の末に小さく頷いた。
「じゃあ、あなたの名前を教えてくれる?」
「……ツスクル」
「ツスクル。巫か」
「かんなぎ?」
「巫女のことさ。シャーマン。私の国の古い言葉なんだ」
「……そうなの」
自分の名前の意味を知らなかった彼女は、レンが教えてくれたその意味に少しだけ驚いていた。レンは、自分が知らない事を何でも知っている様に思えた。すごい、とは思わなかったが、もっと知りたい、とは思った。森の中の暮らししか知らぬ自分に、もっと色んな事を教えて欲しい、と思った。
「ツスクル、私と一緒に外へ行こう。君を追い遣った人間なんて捨て置けば良い。私と行こう」
「……うん」
彼女はレンのその言葉に何か引っ掛かりを感じたのだが、やはり選択肢など最初から無くて、頷く以外無かった。レンの体から感じられる、何か薄暗く冷たいものは、まじないを操る彼女には敏感に感じ取られるものだ。彼女達一族が最も得意とするもの――呪術の気配に、とても良く似ていた。
それが何なのか、彼女には分からない。だけどその時の彼女はとても疲れていたものだから、何も考えずにただ眠りたかった。小さな背中に感じられた温もりは、確かに生きた人間の柔らかなものだった。
座敷童子:座敷または蔵に住む神と言われ家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。座敷童子がいる家は栄え、座敷童子の去った家は衰退するということが挙げられる。こうした面から、座敷童子は福の神のようなもの、または家の盛衰を司る守護霊と見なされることもある。(wikiより)
2人で1組とも言われるそうです。(鬼灯の冷徹より)レンとツスクルは2人で1組、その2人が去ったエトリアはどうなったのかな、と思ったのでした。